2008年09月24日

インビジブル

 パレートの法則――80対20の法則と言い換えられる場合もある。経済学から発信されたものらしいが、今では様々な場面で当てはめられているように思う。なんだかゴキブリの考え方と似ている気もする(1匹でも見かけたら実は……というやつ)。
 経験から考えても、たしかにその通りだなと感じることが多い。でももう少し突っ込んで思慮してみると、一見無駄に見える80%があるからこそ、20%が生まれていることに気付く。

 仮に現在の成果を100として、全体の2割が80の成果をあげていたとする。つまり残りの8割は20の成果しかあげていない。では8割の部分で40の成果をあげるよう努めると、最終的に120の成果が達成できるかと言えば、必ずしもそうとは言い切れない。
 火をつければ燃えるものばかりではないのだ。色々な人間が存在するからこそ、多様な世界になっている。何がどこに関わっていて、どんな効果をもたらしているのかを把握するのは難しい。色も重さもないものを生み続けるブラックボックスだって重要だ。既存と未知の間にある呼吸の中に価値を見出せるようになれば、本当に実りのあるものを手にできる気がする。

2008年06月18日

喉×腰×継続

『ベンザブロック』のCMでもあるように、人によって風邪の初期症状が異なるみたいだ。「のど・鼻・熱・セキ」あたりが定番。
子供の頃から風邪に対する免疫力が低い。気を抜くとすぐに寝込んでしまうし、ひどいときには1ヶ月に2、3回風邪をひくことも。まあ、風邪以外の病気とは無縁なので、今のところプラスマイナス・ゼロというところか。
そんなわけで、何度も体験しているうちに自分なりの経験則が得られた。といってもそんなにたいした法則ではなく、私の場合は喉(のど)から症状が始まる、というだけのこと。でも自分のウィークポイントを理解するのは大切ですからね。

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2008年05月21日

時間とベンジャミン・フランクリン法

最近テレビをほとんど見なくなった。以前はテレビを見て、そのそれ以外の時間に読書なり趣味にあてる時間を作るというパターンだったけど、今では逆。テレビの優先順位がかなり下がってしまった。
もちろんこれはよい傾向だと思っています。
「時は金なり(Time is money)」と言ったのはアメリカの政治家ベンジャミン・フランクリン。時間イコールお金かどうかまでは分からないですけど、少なくとも時間にはほかに変えがたい価値があるのは事実ですからね。

テレビは本当に時間を食い尽くすシロアリ的な害虫みたいなもので、放っておいたらいくらでも蝕まれ、スカスカになってしまう。ただ、テレビは自分の意思で見ないようにする努力することができる。ありがたいことに。
実際、テレビなんて見なくても生活に全く支障はないし、むしろ右から左へ通り抜けるだけの情報が減っただけ、頭の中がすっきりするように思います。テレビ業界の人には悪いですけど。

時間をとられることって結構多い。会社員ならちょっと飲みに行くとか週末のゴルフとか、未だにこんなステレオタイプな断りきれない付き合いがあるみたいですし。たいしたメリットや生産性もなく、ただ損なわれる。
以前読んだ本にベンジャミン・フランクリン法というものが書いてあった。「選択を迫られたとき、メリットとデメリットを書き出して、多いほうを選択する」というとてもシンプルな手法。
これを読んだとき、「おお! なるほど」と思いましたよ。
ここまで単純に割り切ることはないけれど、ある基準に則って優先すべきものとそうでないものを割り振る作業はかならず必要になってくる。ある場合には、それは工場内での単純な仕分け作業みたいに薄暗く見えるかもしれない。

時間は有限で、その中でできることもまたしかり。ならば物事に優先順位をもうけるのは仕方のないことだし、後回しにするべき人間関係が生まれるのは必然だ。
もっとシンプルな言い方をするならばつまり、どうでもいい人と付き合っている暇はない、ということ。雑事に流されるのにも限度がある。
私にとって特に必要ではない人でも、家に帰れば家族がいるのだし、この世界のどこかでは存在しなくてはならない人のはずだから、別に気を使うことはないでしょう。誰とでも親しくすることだけが、自らの世界や可能性を広げる手段ではないのはお互い様。
これは逆説的に、そばにいる人がどれほど大切か、ということを私に教えてくれたりもするのだけれど。

2008年01月09日

今年は英語の年なんだろうか?

■昨年最後の日――12月31日は友人達と飲み会をやっていました。
夜の9時くらいまでだったんですけど、それなりに楽しめましたね。予定ではみんなで年越しということになっていたんですが、さすがにいつもどおりのメンバーで年を越すのはちょっと……とおもっていたので、私は早めに帰宅しました。


■帰り道、一人で歩いているとある女性に声をかけられました。
「Excuse me!」と。
振り返ると、おそらく韓国人(中国か台湾かもしれない)の女性が私に話しかけていました。どうやら道を聞きたいらしい。
「心斎橋はどこですか?」と英語で聞かれたんですが、心斎橋というのはエリアの名称であって場所ではない。ついでにいうと、私が話しかけられた場所はすでに心斎橋だった。
なので私は「心斎橋のどこですか?どこに行きたいんですか?」と尋ねて道を教えました。どうやら戎橋が目的地だったみたいだ。
それにしても流暢な英語だった。ほんの短い会話でしたけど、発音がとてもきれいでしたね。韓国は英語教育が盛んだと聞いたし(たしか受験もすごいんだとか)。このままでは日本は英語の面でどんどん他国に負けていってしまう気がする。すでに負けているような気もしますけど。

ともあれ、私が去年会話した最後の「赤の他人」は、流暢な英語を話す東洋人でした。


■周りに何人か留学を経験した人がいますけど、いずれも覚えてきたものはFuckだのShitだのといった、そういう言葉ばかり。
言葉を覚えるというよりは、外国人と会話することに慣れることが最大のメリットみたいだ。それはそれで有意義なことだけれど。
日本にいながらにして英語を習得した人はいるんだろうか? たとえば英会話教室に通ったり独学で勉強したりして。そんな人の話は聞いたことがない。留学しても英語を話せない人の話は何度も聞いたことがありますけど。

将来は外国に住みたいという願望を、ちょっとだけ持っています。将来といってもまだまだ先の話。まだ日本でやることが沢山あるので、たぶん「外国に住んでもいいかな?」と本気で思えるようになるのは50歳とか60歳とかそのくらいになってからだと思います。
今はとりあえず英語が読めるようになりたい。
英語がもっと読めるようになれば、読書の幅も広がるし。あとネットからの情報収集もかなり幅が広くなる。英語のサイトが圧倒的に多いですからね。


■12月31日に出会った女性。
もしかしたら、「今年はいつもより英語のことを、頭の広い範囲で考えましょうね」という暗示だったのかもしれない。シンクロニシティに近いものかも。偶然だといってしまえばそれまでですけどね。
もっと英語ができるようになりたいと、ずっと前から思っていたのでこれはいいチャンスかもしれない。というわけで、今年はいつもより多めに英語を読んでいこうと思っています。
ま、あまり気負いすぎるのもどうかと思うので、気長にあせらず、マイペースで。でも、いままでよりちょっと意識の真ん中に近い場所に据えるイメージで。

2007年11月25日

変えられるものと変えられないもの

■高校生のときから、電車通学というものに憧れていました。
なぜかって言うと、漫画:スラムダンクの中で電車通学をしている場面がたびたびあったから。
井上雄彦さんの作品はほとんど読んでいて、そのきっかけとなったのが、超有名なスラムダンク(リアルもバガボンドも読みました)。
結局、高校のときは自転車通学になってしまったので、電車通学への憧れは大学まで持ち越しになってしまいました。

で、大学ではようやく電車通学になったんですけど。
私の通っていた大学は片道1時間半もかかり、つまり往復で3時間。
始めのうちはよかったんですけど、さすがにしばらくするとその時間がどうしようもなく無駄に思えてしまって。「映画一本分より長いじゃないか!」と毎日のようにツッコミを入れていました。
何にツッコンでいたのかは、今考えるとよく分からないんですけどね。


■それで、ここからが本題で。
私の場合、通学にはほとんど地下鉄を利用していたので、あまり電車が遅れることはなかったんですが。
電車は時々遅れることがありますよね。
で、そういうときに必ず車掌さんとかに文句を言う人がいます。
「なんで遅れてるんだ!」
「いつになったら動くんだ!」
など。
そういう光景を見たときに、どういうふうに感じるか、というのは割と人それぞれ。当然文句を言うべきと思う人もいれば、ひたすらイライラする人もいる。
中には、大切な用事を抱えている人もいるはずなので、そういう人に向かって「おいおいオジサン(大抵オジサンの場合が多い。偏見かもしれませんが・・・)。そんなこと言ったってしょうがないでしょ?」と言う気にはなれませんしね。
でも、どう感じようが、どんなに大切な用事を抱えていようが、文句を言っても意味はあまりないことに変わりはない。
文句を言っても、電車が早く動き出すわけではありませんから。
だから、文句を言っても自分が損をするだけです。
周りの人も不愉快になるだろうし、イライラしたまま仕事に向かって何か失敗をしてしまうかもしれません。


■できるだけ自分の力でやるというのはいいことですけど、それだけでなんでもかんでもできるわけではありません。
文句を言っても電車が動かないように。
だから、私達にできることは自分の力で変えられることに意識を注いでいくことだと思うんです。
電車が動かないときには、何もせずに気長に待つのも1つの方法だし、タクシーで行くのも1つ。仕事先に電話をかけて遅れることを伝えておくのも必要なこと。いつ電車が止まっても平気になるように、明日から自転車通勤をするのもいいかも(これは無理な場合もありますけど)。
ちなみに、車・バイク通勤はおすすめしません。ガソリン高いよ・・・。

映画とかで、主人公が周りから理不尽なことをされたり、誰かに足を引っ張られたりして、「なんでオレがこんな目に・・・」と思っているときに、「それは全てお前が招いた結果だ!」みたいなことを言われることがありますけど。実は自分に原因があった!みたいな。
でも、それってちょっと酷。
現実でもそうですけど、絶対に理不尽なことってあるし、足を引っ張るヤツもいる。自分に原因があるとはとても思えない。
でも、こういう映画の教訓は「変えられないものは置いといて、変えられるものでそれを凌駕しろ」ってことなんだと解釈している。
つまり、どんなに努力しようが理不尽なものは理不尽だし、足を引っ張るヤツは足を引っ張る。何もしない状態でマイナス10くらいになってしまう。
でも、そこでヘコんでしまうのではなくて、足を引っ張るヤツがいないところでプラス100くらいやれ!ということなんだと。
マイナス10はしょうがないけど、それをプラスにできなかったのはお前のせいだ、ということだと思う。


■変えられるものと変えられないもの。
じゃあ、何が変えられるもので、何が変えられないものなのか?
その判断はとても難しい。
一見変えられそうでも、実は変えられないものもあるし、その逆もある。
とりあえず、電車の遅れは変えられそうにないですけど。
それに、変えられるけど変える必要のないものというのもあるし。
たとえば、営業の仕事をしている人が、「自分は人と話すときに緊張してしまう」という悩みを抱えているとして。
でも、実は人と話すのが苦手というデメリットのおかげで、人の話を聞いて理解する力が養われることだってある。
こういうふうに考えると、このへんのジャッジは本当に難しいなあ、と自分で書いていても思いますね。


■で、そろそろ今日のオチ―つまり結論に向かうころなんですが。
勢いで書き始めてしまったからか、どうもうまくまとまらない(笑)。そもそも1つの答えなんてあるのか?
理想を言えば、「変えられるものは”コレ”。変えられないものは”コレ”」ってバシっと言えればいいんだろうけど。
そんなことはとても・・・。
それに、仮に全てのことを変えられるとしても、そんなの全部やってたら人生終わってしまう。そこには、必ず優先順位というものが必要になるはず。

でもね。
判断は難しいし、優先順位もあるだろうけど、やっぱり変えたいものは変えるっていうスタンスでいいと思う。
「自分にできることなんてない。あとは老いて死ぬだけだ」って、これはちょっと極論かもしれないけど、でもこういう考え方はだめでしょ。
最後までできないかもしれないし、大量にやり残すことがあるかもしれないけど、でも『自分にできたこと』がとても大切に思えます。

2007年11月23日

ワールドカップバレーで笑うこと

■近頃、めっきりテレビを見る時間が減ってしまって。
テレビ事情に疎くなりつつあります。
なにやら、ワールドカップバレーをやっているそうな・・・。知らんかった!

女子はすでに終わって、今は男子をやっていますね。
今日ちょっとだけ見てみました。
広島・グリーンアリーナで男子の試合。日本対アルゼンチンの試合が行われました。
日本はストレートで勝利し、これで通算成績は2勝2敗になった。
とまあ、これはニュースを見ればわかることなんですけどね。


■で、これは以前から思っていたことなんですけど、日本バレーの選手達は、得点するたびに物凄く喜びません?
今日見た限りでは、男子はそれほどでもないんですが、特に女子は毎回のように笑顔で走り回っている。
私なんかがあの光景を見ると、「あんなに走りまわって疲れないものなのかな?」なんて、いらない心配をしてしまう。
まあ、あのくらいでバテたりしないでしょうけど。

他国の選手達は、そりゃうれしそうにすることもあるけど、それほどまでに喜びを表現しない。
見事にスパイクが決まっても、「よしよし、1本決まった」という感じ。
少なくとも、歯を見せて笑うことはとても稀なようで、顔の筋肉があまり動かない。
どちらかというと、日本人は感情表現が下手で、その分野では外国人には到底勝てないという印象がありますけど、ことバレーの試合では日本人のほうが喜びを大きく表現している(ように見える)。
日本で放送されているので、もちろん日本の選手を映すことが多いから、外国の選手達は画面の外で喜んでいるのかもしれませんけど。それに日本で行われている大会なので、日本人にしてみればホームなわけで、外国人選手にしてみればアウェーということも影響しているのかもしれない。それにしてもねぇ。


■別に試合中に笑ってはいけないということではなくて。
笑うことで気持ちが高まったり、チームワークのためになったり、などなどプラスの面があるならそれはいいこと。
でも、私は少なくとも真剣勝負の最中に笑うことはあまりない。
たぶん。
だから、表情だけ見ていると外国の選手の反応のほうがしっくりくるものがあります。つまり、違和感がない。

そんなことを考えながらバレーを見ていると、最近見たテレビの内容を思い出しました(結構テレビ見てるかも?)。
たしかNHKの番組で、国分太一と劇団ひとりと麒麟が出ているやつなんですけど。劇団ひとりと麒麟がそれぞれテーマについて発表し、どっちのほうがおもしろかったか、とかを採点するやつ。
そのときは笑いについて。
その中で、以前サッカーワールドカップに出場できなかったときの日本代表は、他の国のチームに比べてとてもよく笑っていたということを言っていました。
たしか、リーグ戦では4チームずつに分かれていて。
その中で試合中に日本の選手が一番笑う回数が多くて、そして最下位。しかしおもしろいのは、2番目に笑う回数が多かったチームが1位だったとのこと。以下、笑う回数が多い順に2位、3位となっていったのだとか。
だから、一概に試合中に笑うことがダメなわけではないみたい。日本と外国とでは、笑う基準とか意味合いとかが違うのだろう、という結論だった・・・と思います。
この番組の結果をバレー日本代表にあてはめるとどうなんだろう?
正直よく分かりません。


■猛ダッシュで走っていって、目の前で電車の扉がプシューっと閉まってしまった、っていう経験は結構多くの人が体験していると思いますが。
そういう時って、本来なら電車に正拳突きとか、オーマイガッ!みたいなリアクションになってもいいはずですよね。
でも、なぜか笑ってしまう。とりあえず笑う。
たぶん、これは日本人の特性というか、DNAに染み込んでいるんだと思います。恥ずかしかったり気まずかったりしたときは、とりあえず笑っておけば周りの人も「ああ、恥ずかしいんだね」って思ってくれて、その場面はそれで何もなかったように終わる。
これは生きる知恵でもあると思うし、いいことか悪いことかも、よく分からない。この傾向は当分変わりそうにないし、無理やり変える必要もないと思います。
変わらないものは、変わらない。
変えられないものはとりあえず置いといて、自分で変えられるものに焦点を当てるべきなんだろうなあ、なんて思いました。

しかし、バレーを見ながら選手が笑っているかどうかを観察しているなんて、ちょっとひねくれているのかもしれない。と、そっちのほうが問題なんじゃないかと思ったりもしましたけどね。

笑う、の夢判断のページはこちら

2007年11月22日

習慣を増やし中

■普段、特に意識していないと、ついつい同じ事を繰り返してしまうことがあります。つまり、生活のすべてがルーティンワークになってしまう。
ある程度自分で決めたルールに従って、一定の事をこなすことは、日々のリズムを掴む上で大切なことだと思っていますけど。でも、昨日の今日も変化のない毎日を送るのは、ただそれだけで人生を浪費しているというか、とにかく無駄に思えてしまったりする。
健康に生きている、ただそれだけで幸せだと感じる人もいれば、どうせ健康に生きているのなら、その中でできるだけのことをやろうと日々のあれこれに追われる人もいるわけで。
どちらにするかは、人それぞれの価値観で決めればいいんですけど、とりあえず今思ったのは、私は何が言いたかったんだろう、ということ。
なんだったっけ?


■そうそう。
最近の私のテーマでもありますけど、習慣を増やそうとしていること。
毎日がルーティンワークになるのは、あまり気分のいいことではないのですが、自分で選択したルーティンワークならば納得できるし。許容量をちょっとオーバーするくらいのものなら、成長(のようなもの)も望めると思って。
とにかく、それをやらなければ気持ち悪いと思うことを増やそうと思っています。

たとえば、歯を磨かなければ気持ち悪いし、顔を洗うのもそう。
シャワーだけですませるのはちょっと寂しいので、できるだけお風呂では浴槽で体を温めるようにするとか。
あと、私は一日に一回は必ず外の空気を吸わなければ、気持ちが悪いと感じてしまうんですよね。
それも、太陽が出ているうちに。
仕事柄、へたをすると何日でも家の中に閉じこもってしまいがちなんですけど、毎日少しの時間でも外へ出て軽く散歩をしているうちに、そうなってしまいました。

散歩をする時間は、一見ボーっとしていて無駄な時間のように思われてしまいますけど、実はそんなことなくて。
なんというか、”無になる時間”が持てる。
無になるというと、超心理みたいな感じに聞こえてしまいますけど。Vacantのほうが近いかも?
しばらく続けているうちに、この時間は自分にとって必要な時間なんだなあ、と思えるようになってきます。
意味があるのか分からなくて、そして意味なんて無くても構わないけど、でも自分に必要な時間。


■自分を高めるためには、何かをある程度継続する力が必要だと思います。
なんでもやり始めはテンションが上がっているので、一週間くらいは勢いで何とかなってしまうものですが。
これが一ヶ月、半年、一年となると、なかなかノリだけでは難しい。
だったら、やらなければ気持ち悪いと思えるように習慣にしてしまえばいいと思って。
でも、習慣にするまでが大変なんですけど。

それで今やっているのが、今持っている習慣と組み合わせてしまう、というやり方。
私の場合、散歩はすでに習慣になっているので、それをランニングに変えてみるとか。体力作りのために(体力がなければ、何もできない!)。
歯を磨きながら、資格の勉強をするとか。そういう小さいことから初めて、あわよくば習慣にしてしまおうと、こういうスンポウ。


■ちょっと長くなってしまった。
うまくいくかどうかは今のところ分かりませんが、ちょくちょく進行状況を報告していきたいと思います。
割とうまくいくような気がするんだけどなぁ。まあ、それはそのうち・・・

2007年11月10日

不定期シリーズ:コントロール力1

■ここ最近、といってももう1年近く経ちますが、私の生活のテーマは専ら「コントロール力」というキーワードで埋め尽くされています。

この「コントロール力」というのは、私が勝手に作った、つまり造語ですけど。
つまり、自分と自分の身の回りをコントロールする力。
セルフマネジメントと言ってもいいでしょうね。
自分管理術とか、セルフコントロールとか。そういうものなんですけど、なんとなく自分が使いやすい、直感的な言葉のほうがよかったので。

自分をコントロールする、なんて言うと、何かマインドコントロールのようなものか?と思う人もいるかもしれませんが、そういうことではありません。
自分をよい方向へもっていくために、ある種の思い込みを使うことはありますけど、精神を操作するようなそういうものではないですね。


■自分をコントロールすることって、本当に難しい。
いいと分かっているのに出来ないことって、誰でも経験があると思います。

たとえば・・・
朝早く起きて、近くの公園でランニング。
シャワーで汗を流して、健康的な朝食を食べる。
その後、会社の誰よりも早く出社して、昼頃にはほとんど仕事を終わらせ、定時に帰宅。
家でリラックスしたり、本を読んだり。心地よく疲れて就寝。

実際にこういう生活をしている人はいるし、やろうと思えば明日からでもできること。

朝早く起きる。
すぐに外に飛び出す。
朝食をちゃんと食べる。
職場では、完全に集中して仕事をする。
帰ったら、自己投資の時間を作る。

たったこれだけ。
ちょっとがんばれば、誰でもできることですね。

でも、できない。
人によってベストな一日の基準は違うと思うし、すぐには実行できない場合もあると思います。
でも、その気になればこういう生活は、明日からでもすぐに始められるはず。

でも、なかなか実行できる人は少ないですよね。
それは、やっぱり自分をコントロールする力が足りないからなんじゃないかな、って思うんです。


■偉そうなことを言っている私ですが、もちろん私も自分をコントロールすることはなかなかできません。
サボってしまうこともあるし、ダラダラテレビを見てしまうこともある。
でも、意識するかしないかで、かなり変わってきたような気がします。

この、「自分をコントロールする」ということ。
今日書いたのは、主に日常生活とか健康とかについてですけど、これは、普段の生活以外に、経済活動にもとても影響してくると思います。
つまり、お金。

このテーマについては、不定期ですけど何度かに分けて書いていこうと思います。
今日は、さわり程度。

具体的なコントロール術についても、また後日。

今日はこのへんで。