2009年04月24日

1.社会は親 2.個人は子供 3.不明な殺人、そして4

 地デジのイメージキャラクターを降板させられたり、ピタゴラスイッチも降板したり、出演番組が放送自粛を発表したりと、一夜明けていよいよ本格的に事件の影響があらわれてきた。もちろん草g 剛のこと。 
 鳩山さんは「最低の人間だ」なんて発言したらしい。その後「最低、最悪の行為だ」に言い換えた。しかしこれでも事を大きく考えすぎなことに違いはない。
「最低、最悪の行為」なんて他にいくらでもあるではないか。酔って裸になるくらいで最低、最悪呼ばわりされるのなら、私なんて年中最低である(具体的に何をやっているかは言わないが)。 
 ハメをはずしただけで仕事をすべて奪われるなんて、ちょっと想像力を働かせればすぐにその恐ろしさは理解できるだろう。残酷な仕打ちとしか言いようがない。
 テレビだけかと思いきや、新聞でも大きく扱われていた。「いやいや、たいした事じゃないですよ」というアナウンスは聞こえてこない。

 こういう報道を見ていつも感じるのは、世間の人々は(たとえば私の住む大阪でもそうだが)あたかも自分は身に覚えがなく、犯人のような暗い心の闇や、犯罪につながる要因をまったく抱えていないように振舞う無関心さ、無責任さだ。
 犯罪者を擁護しているのではない。犯罪の擁護などできるはずがない。
 しかし私は考える――
 たとえ命を奪わなかったとしても、人の精神を大きく捻じ曲げたり、取り返しのつかないほど傷つけるのは、まるで親が子にあたえる影響のように、本当に本当によくあることなのだ。 
 私はまだたいして長く生きていないし、経験もない。だがそれでも、優しさの大切さを説きながら他者を傷つけている人を沢山見てきたし、無関心を装いながら多大な影響を与えている人を沢山見てきたし、心の広さを強調しながら偏狭な態度をとる人を沢山見てきた。
 そして恐らく私も、ある方面においてはそうなのだろう。そして誰もがそういった面を持っているのだ。人は誰しも自分が気付けないほど多面的な存在なのだから――

 誰もが加害者になる可能性があり、もしかするとある面ではすでに加害者かもしれないことに、メディアをはじめ多くの人間が目を背けている。誰かを血祭りにあげ鬱憤を押し付けることで、薄暗い影を隅のほうへ追いやっているようにも見える。これはもう社会的な暗黙の合意による、命を奪わない殺人である。
 今回の生贄は草g 剛だ。沢尻エリカや朝青龍だったこともある。実際には命を奪われた人だっているし、被害者の数は限りない。次は誰の番だろうか。
posted by タチバナ at 21:48| 日記